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ねぎ(ポン酢)の呟きとか連絡事項、たまにリアル方面等の愚痴など。
どうもこんにちは。
山篭り武者修行中のねぎ(ポン酢)です。

武者修行に入った理由は自分の力不足を考えたからなのですが、そう思ったのにはやはり書いても書いても何の反応も貰えない事に嫌気が差したというのがあります。そんな事を思う自分自身に嫌気が差したというのもあって、自分の力不足の問題なのだから山でも篭って武者修行しようという考えになった訳なのですが……。

急にふと思ったんですよ。
そういう事に傷付いたり、反応を気にしたりする事って当たり前なんじゃないかなって。
そういう事でめげる自分を叱咤するのはもしかして間違ってるのかなって。

正直、何で話を書いているかといえば、

「書きたいから」

これにつきます。
本当、嫌な事があっても、どうしても自分から切り捨てられない自分の一部みたいなもの。
書く事が好きで、書き上げると脳内麻薬が出て興奮する変態ジャンキーなんですよ。
本当、単なる脳内麻薬中毒者。
下手とか読む人がいるいないに関わらず、書きたくてしょうがないジャンキーなんですよ。

でもそんなジャンキーでもやっぱり、アホみたいに話を書いているのに、読まれてもいいねすら貰えない状況に滅入るんですよね。

人の為に書いている訳じゃない。
人気が欲しくて書いてるんじゃない。

読まれるネット小説の書き方指南はたくさんあります。
でもそれを読んでもその通りにしないのは、書きたい話があるから書いているんであって、読まれる話を書こうとしている訳じゃないから。

書きたくて書いてる。
書くのがやめられなくて書いてる。

それが第一前提だとします。

書きたくて書いてるなら、読み手の反応なんか気にしなきゃいい。
そんな事を気にしているヤツは三流だ、自分の力不足を他人のせいにするな、自分の書きたいものがあるなら誰も読まなくてもアンチに悪口書かれようと、自分の信じた話を書けばいいみたいな事が書かれているエッセイとかも見ます。

でも急にふと思ったんですよ。
誰かに読んで欲しい、そう思うのって軟弱な事なのかな??
そして読んでもらえなかったり、読んでもらっても何も反応がなかったりする事にショックを受けるのは三流だからなのかなって。

何でそんな事を思ったかというと、山篭りしてて息が詰まって、「もうすぐクリスマスじゃん!更新できないけどなんか下らない事しよう!!」とかいきなり思い立ってちょっと書き始めたんですけどね……。
ふと、「いや、こんな事しても別に誰も喜ばないよ。どうせチラ見して冷たくスルーされるだけだ。何の為に山篭りしてるんだよ……。」って思ったんですね。

で、なんか気づいたんです。

話を書く時って2種類あって、
「書きたいから書く・書きたいことがあるから書く」というのと、
「誰かに楽しんで欲しくて書く」っていうのがあると思うんです。

それまで「誰かに読んで欲しくて」書くと言うのは駄目な事だって言うような無意識の縛りがあったんですけど、なんかはたと気づいたんです。

いや、それ、別に悪い事じゃなくないか??って。

ご飯作るとするじゃないですか?
ご飯はお腹すくし食べないと死んじゃうし、生きる為に必要な事だけど、生きる為に必要だからご飯作るかって言われたら「いや?そうじゃないよ??」ってなる。
やっぱりご飯作るなら、作る相手に美味しいって食べて欲しいなって思うし、その人の事を思って作るじゃないですか??
自分に作るんでも、美味しいものを食べて元気をつけよう!って思うじゃないですか??

だから誰かに喜んで欲しいって思って話を書く事って、別に三流な事とかそういう事じゃないんじゃないかなって。
(たとえが相変わらず食べる事ですみません)

食べる事は生きるのに必要だけど、料理する時、「生きるのに必要だから!」って料理する事って少ないと思うんです。
人間、無意識だけど「美味しいって笑って欲しい」って思って料理するんじゃないかな??
相手がいても自分に対してでも。
生きるのに必要だから!って料理はしないよなぁって。

「誰かに笑って欲しい」って、無意識だけど人間の行動原理に標準装備されてる感情なんだと思う。
本能と一緒っていうか、無意識だけど当たり前にいつも思ってるんだと思う。

だから「書きたいから書く」けど、同時に「誰かに楽しんで欲しい」って思いながら書いてるんだと思うんですよ。

だから、「楽しんで欲しい」って気持ちに答えがないと傷つくのって当たり前なんですよ。
毎日ご飯作ってて、誰にも感謝もされなくて美味しいとも言ってもらえなかったら傷つくのと一緒。
さらにそこに文句なんてつけられたら、メチャクチャ傷つくのって当たり前なんですよ。

だから、今、私がショックで傷ついたのも別に変な事じゃないし、三流の考えの持ち主って訳じゃないし、それを恥じる事でもないし、自分が駄目だからと責め立てる必要もないんだなって。

自分為に、自分が好きだから、書きたくて書いてる。
これが大前提。

でも人間の行動原理に「誰かに笑って欲しい」って気持ちは標準装備されてるものだから、いくら自分を叱咤して「お前が書きてくて書いてるんだろう?!」「他人の評価なんか気にするな!」「やりたくてやってんなら背負い通せ!」みたいに律したって、本能みたいにくっついてるんだから誰も笑ってくれなかったら傷ついて当たり前なんだなぁって。

なんか、急にそんな事に気が付きました。(笑)

確かに評価ばかりに振り回されたりするのも間違ってるけど、誰も笑ってくれない事に傷つく事を否定する必要はないんだなと思いました。

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