ねぎ(ポン酢)の呟きとか連絡事項、たまにリアル方面等の愚痴など。
ふと気が向いて、昔書いた話を本棚に上げたんだけど、あれを書いた時にはまだ姫(実家の犬)は元気で、もふもふしていたと思う。
でもいま読み返すと、あの話のあの女の子は姫だなと思う。
姫はあの話の女の子みたいに活発で積極的ではなくて、生きてんのか?これ?と言うくらい静かで常に同じ表情で置物みたいな犬だったけれど、でもあの女の子は姫だなと思う。
姫は私に何度も訪れた苦痛の中で、一番苦しんだ時にそこに居た。
ただ姫は変わった犬だったので、よく話にあるようなそばに寄り添って慰めてくれるなんて事はない。
常に自分の空気の中で静かに存在していたような子だった。
何を考えているのかわからない、どうすれば喜ぶのかもわからない、積極性もなければ行動力がある訳でもない、何を求めるでもなく望むでもなくただ静にそこにいるだけで、生き物として変な犬だった。
未だに私はあれが犬だったとは思えない。
見てくれだけ犬の皮を被った未知の生き物だったと思う。
それぐらい犬っぽくない犬だった。
犬猫どころか牛や馬や豚だってそれなりに交流のあった私が、犬でも猫でも個体によって性格なんてまちまちで、品種によって言われている性格なんてそこまで当てにならないと知ってる私が、「これ?本当に犬なのか??犬とかいう問題の前に、どういう生物なんだ??」と思った生き物だった。
でもあの子がいたんだ。
あの時、あの子がいたんだ。
何があろうと姫は変わらず、いつもの未知の生き物として何一つ変わることなく。
人の思考が常に目まぐるしく変わる中で、姫だけは変わらぬ未知の生き物として常に存在していた。
最期まで変わらなかった。
あの子は変わらなかった。
ボロボロで骨と皮だけみたいになっても、姫は変わらなかった。
ずっとすんとした常に自分の空気の中で生きている未知の生き物のままだった。
変な生き物だった。
変わらなかった。
世界が、人が、どれだけ変わってしまっても、世界が、人が、どれだけ非情でも、姫は変わらなかった。
ずっと変わらなかった。
最期まで変わらなかった。
はじめから最期まで、犬というより自分の空気の中で生きている変な生き物だった。
今思えば、あの話の女の子は姫だったと思う。
急に現れて、よくわからないうちに去ってしまう。
別に何を教わった訳じゃない。
何を語らった訳じゃない。
ただ、彼女がいた。
それが全て。
最近、とにかく自分自身とよく向き合ってみて少しずつ自分がわかってきた気もする。
多分、私は話を書かなくなると思う。
少なくとも、今しばらくは書かないと思う。
書く事が嫌いになった訳じゃないけれど前も言ったように、いくら精魂込めて必死に書いたところで全く関係ないところからやっかまれて尊厳を踏みにじられるだけなのだから、そんな自分自身をかけて自分自身を削って必死に生み出す必要性を今は見いだせない。
もともと書いても読まれない趣味の底辺作家だから別に読まれない事にどうだこうだ思ったりはしないんだけど、読まれないのは自分の才能と力量が足りてないんだからそれはそれとして真摯に受け止める事であって書きたいなら少しずつでも努力していけばいいんだけど、だからといって、人が好きだという気持ち一つで必死に自分を削って書き上げている話を無意味に侮蔑されるいわれはない訳で。
話を書く事は人それぞれ色々思うところがあると思う。
私の場合は、話を書くことが好きでただ書いているけれど、同人二次創作上がりだから自分が文学や文芸をやっているなんて事は考えた事もない。
ただ文章を書くことが好きで、話を作るのが好きで、趣味で小説を書いているだけ。
文学だの文芸だの、そんな芸術的な事をしている訳じゃない。
人それぞれ色々な捉え方があるだろうけれど、少なくとも私はそういうふうに考えてます。
お腹が空くから何か作って食べる。
それは料理しているってほどの事でもないし、ただ食べたいから作って食べる。
料理がとても崇高な分野で、その道にはプロがいる事も分かってる。
でも自分がしている事がそれと同等だとは思ったことがないのと一緒。
別に料理している自分を卑下してる訳でもないけど、単にお腹が空くから作って食べてる、好きだから作って食べてる、他の人にも食べてもらえて喜んでもらえると嬉しい。
私にとって、書く事はそういう事。
文学だの文芸だの、そんな崇高な事はこれっぽっちも考えた事がない。
朝、目玉焼き(半熟、これは譲れない)を作っているようなものだから、料理(?)はしてるけど、それがカフェのエッグベネディクトと同等なものだなんて頭に浮かばないのと一緒。
人生、残念ながらまだまだ長くて。
そう考えると、今、色々深手を負った傷が治らなくて書こうと思えないなら、今は書かなくてもいいかなと思う。
書きたくなったら書く。
それが数ヶ月後なのか、数年後、10年後、もっと先の老後かもしれない。
でも人生先は残念ながらまだまだあるし、今は書かなくてもいいかなと思う。
少なくとも今はそう思って、自分を追い詰めないようにしています。
でもいま読み返すと、あの話のあの女の子は姫だなと思う。
姫はあの話の女の子みたいに活発で積極的ではなくて、生きてんのか?これ?と言うくらい静かで常に同じ表情で置物みたいな犬だったけれど、でもあの女の子は姫だなと思う。
姫は私に何度も訪れた苦痛の中で、一番苦しんだ時にそこに居た。
ただ姫は変わった犬だったので、よく話にあるようなそばに寄り添って慰めてくれるなんて事はない。
常に自分の空気の中で静かに存在していたような子だった。
何を考えているのかわからない、どうすれば喜ぶのかもわからない、積極性もなければ行動力がある訳でもない、何を求めるでもなく望むでもなくただ静にそこにいるだけで、生き物として変な犬だった。
未だに私はあれが犬だったとは思えない。
見てくれだけ犬の皮を被った未知の生き物だったと思う。
それぐらい犬っぽくない犬だった。
犬猫どころか牛や馬や豚だってそれなりに交流のあった私が、犬でも猫でも個体によって性格なんてまちまちで、品種によって言われている性格なんてそこまで当てにならないと知ってる私が、「これ?本当に犬なのか??犬とかいう問題の前に、どういう生物なんだ??」と思った生き物だった。
でもあの子がいたんだ。
あの時、あの子がいたんだ。
何があろうと姫は変わらず、いつもの未知の生き物として何一つ変わることなく。
人の思考が常に目まぐるしく変わる中で、姫だけは変わらぬ未知の生き物として常に存在していた。
最期まで変わらなかった。
あの子は変わらなかった。
ボロボロで骨と皮だけみたいになっても、姫は変わらなかった。
ずっとすんとした常に自分の空気の中で生きている未知の生き物のままだった。
変な生き物だった。
変わらなかった。
世界が、人が、どれだけ変わってしまっても、世界が、人が、どれだけ非情でも、姫は変わらなかった。
ずっと変わらなかった。
最期まで変わらなかった。
はじめから最期まで、犬というより自分の空気の中で生きている変な生き物だった。
今思えば、あの話の女の子は姫だったと思う。
急に現れて、よくわからないうちに去ってしまう。
別に何を教わった訳じゃない。
何を語らった訳じゃない。
ただ、彼女がいた。
それが全て。
最近、とにかく自分自身とよく向き合ってみて少しずつ自分がわかってきた気もする。
多分、私は話を書かなくなると思う。
少なくとも、今しばらくは書かないと思う。
書く事が嫌いになった訳じゃないけれど前も言ったように、いくら精魂込めて必死に書いたところで全く関係ないところからやっかまれて尊厳を踏みにじられるだけなのだから、そんな自分自身をかけて自分自身を削って必死に生み出す必要性を今は見いだせない。
もともと書いても読まれない趣味の底辺作家だから別に読まれない事にどうだこうだ思ったりはしないんだけど、読まれないのは自分の才能と力量が足りてないんだからそれはそれとして真摯に受け止める事であって書きたいなら少しずつでも努力していけばいいんだけど、だからといって、人が好きだという気持ち一つで必死に自分を削って書き上げている話を無意味に侮蔑されるいわれはない訳で。
話を書く事は人それぞれ色々思うところがあると思う。
私の場合は、話を書くことが好きでただ書いているけれど、同人二次創作上がりだから自分が文学や文芸をやっているなんて事は考えた事もない。
ただ文章を書くことが好きで、話を作るのが好きで、趣味で小説を書いているだけ。
文学だの文芸だの、そんな芸術的な事をしている訳じゃない。
人それぞれ色々な捉え方があるだろうけれど、少なくとも私はそういうふうに考えてます。
お腹が空くから何か作って食べる。
それは料理しているってほどの事でもないし、ただ食べたいから作って食べる。
料理がとても崇高な分野で、その道にはプロがいる事も分かってる。
でも自分がしている事がそれと同等だとは思ったことがないのと一緒。
別に料理している自分を卑下してる訳でもないけど、単にお腹が空くから作って食べてる、好きだから作って食べてる、他の人にも食べてもらえて喜んでもらえると嬉しい。
私にとって、書く事はそういう事。
文学だの文芸だの、そんな崇高な事はこれっぽっちも考えた事がない。
朝、目玉焼き(半熟、これは譲れない)を作っているようなものだから、料理(?)はしてるけど、それがカフェのエッグベネディクトと同等なものだなんて頭に浮かばないのと一緒。
人生、残念ながらまだまだ長くて。
そう考えると、今、色々深手を負った傷が治らなくて書こうと思えないなら、今は書かなくてもいいかなと思う。
書きたくなったら書く。
それが数ヶ月後なのか、数年後、10年後、もっと先の老後かもしれない。
でも人生先は残念ながらまだまだあるし、今は書かなくてもいいかなと思う。
少なくとも今はそう思って、自分を追い詰めないようにしています。
まず先に説明したいのは、私は誰かを責め立てる為にこれを書いた訳ではなくて、単に自分自身の状況を分析する為に書いたものです。
私は聖人君子ではないし、私も誰かを傷つけて生きてきたし、たくさんの過ちをしてきて今ここにいる訳で。
どう感じるか、どう行動するかは人それぞれ違う。
その中で自分がどう感じたのか、どう感じているのか理解しようと分析したにすぎません。
さっくり言えば個人的な考えです。
拙者単位100%(笑)
物事、最終的に突き詰めると自分との戦いにすぎなくて、自分自身がどう考えるか、どう行動するか、どう乗り越えるか、そういう中での話です。
1月を目標に動き出せるよう準備をしていますが、そもそも自分がどういう状況なのか理解しなければ前に進めない訳で。
ぶっちゃけると、書けなくなっている。
なら書く事が嫌になったのかというとそういう訳じゃない。
嫌ならもう書く事を辞めればいいだけなのだけれども、そうじゃない。
なら何なのか?
書くのが嫌なんじゃない。
書く事が怖い。
違う。
書いてネットに上げるのが嫌なのだ。
嫌、というか、怖い?
怖いというか……虚無感を覚える。
書いて上げたところで無意味に尊厳を踏みにじられるだけだと感じるから。
そこが例の嫌がらせ事件に根ざしている傷なのですが。
嫌がらせをされる中、私は負けるものかととにかく話を書いていた。
いい話を書こうと努力し続けた。
本当、その頃、たくさん話しを書いていたと思う。
「修羅と丹若」や「ルサールカ」、それと同じぐらいの話をいくつか書いていた。
「修羅と丹若」「ルサールカ」以外は今は消してしまってある。
このまだ上げてある二つだって、続きは書けていない。
気持ちが死んだから。
正直、それだけ精魂込めて長い話をいくつもいくつも書いても、結局は無意味な嫌がらせに尊厳を踏みにじられ、その上ペットの死までも揶揄され小馬鹿に鼻で笑われ冒涜された訳で。
思い返せばそりゃ動けなくなるよなぁと思う。
書いた話や私の行動パターンがその人にとって気に入らなかったというだけで、サイトを変えても追ってきて陰湿に執着されて長々と嫌がらせされ、いい話を書こうとどんなにコツコツ真面目にこちらが努力しても、どうでもいい粘着で陰湿に付きまとわれた訳で。
まぁそりゃ、ネットに話を上げる事に虚無感や嫌悪感を感じるようになるよなぁと。
つまり、私は書く事が嫌になった訳ではなく、トラウマが出来てしまってネットに話を上げられなくなったという状況なのだとわかったんですね。
それでどうするかを考えたんですよ。
別にネットに上げるだけが話を書く手立てじゃない。
公募に応募する活動のみに集中する方法もあるし、文学フリマとか同人とかの方法もある。
ネットに上げるにしても、小説投稿サイトだけがそれではない。
電子書籍で活動するという方法もある。
また投稿サイトを利用するに当たっても有料化という手もある。
有料化はお金が入ると言う意味合いより、無料ではない分、誰でも読めるという訳ではなくなる事が重要になってくる。
多少なりとも負荷を背負っても読みたいと思ってくれる人にだけ読んでもらう事ができる。
ただ底辺作家にはあまり現実的な手段ではないけれど。
ここで重要なのは、書く事を続ける方法がネット小説サイトに投稿する事だけではないのだと言う事。
道はいくつもあるのだと言う事。
一つの事に捕らわれると、事を見誤る。
ここで私が話を書くにはネット投稿サイトしかないという思い込みに囚われてしまうと、投稿サイトに上げる事に躊躇している気持ちを「小説を書く事」が嫌になったと混同してしまうからだ。
で、書く為には別に投稿サイトに囚われなくてもいいと、いくつもの道はあるのだとちゃんと道筋を考えて上げてみれば、自分の気持ちが見えてくる。
私は書く事が嫌になったのか?
他の方法があれば書きたいのか?
それで、「あ、書きたくない訳じゃない。ネットに上げるのが怖いというか虚しいというか、嫌というか躊躇してるんだ」と理解する訳です。
この間、いくつか話をちまっと書いてみたけれど、結局、上げるには至らなかった話もいくつかあります。
それは書いてみたけれど自分に自信が持てなかったというか、結局トラウマに囚われていて「書いた(上げた)ところで尊厳を踏みにじられるだけだ」という気持ちが湧き上がって、どうにもできなかったと言う感じです。
そうやって一つ一つ、何が問題なのかだんだん見えてきたというか。
問題が何なのか分かれば、どう対処すべきなのか、どんな方法があるのか、それらを踏まえて自分はどうしたいのか。
ゆっくりですが、そういうふうに考えが前に向かって動き出しているというか。
それでもって、ついでだから考えたんですよ。
将来的な事も。
それで長い目での考えも視野に入れて、これからどう動いていくのか、1年後、数年後、極端に言えば老後、その時どう有りたいのか、そうなるために今どうしておくべきなのか、そんな事も含め、ゆっくり動いていこうと思います。
私は聖人君子ではないし、私も誰かを傷つけて生きてきたし、たくさんの過ちをしてきて今ここにいる訳で。
どう感じるか、どう行動するかは人それぞれ違う。
その中で自分がどう感じたのか、どう感じているのか理解しようと分析したにすぎません。
さっくり言えば個人的な考えです。
拙者単位100%(笑)
物事、最終的に突き詰めると自分との戦いにすぎなくて、自分自身がどう考えるか、どう行動するか、どう乗り越えるか、そういう中での話です。
1月を目標に動き出せるよう準備をしていますが、そもそも自分がどういう状況なのか理解しなければ前に進めない訳で。
ぶっちゃけると、書けなくなっている。
なら書く事が嫌になったのかというとそういう訳じゃない。
嫌ならもう書く事を辞めればいいだけなのだけれども、そうじゃない。
なら何なのか?
書くのが嫌なんじゃない。
書く事が怖い。
違う。
書いてネットに上げるのが嫌なのだ。
嫌、というか、怖い?
怖いというか……虚無感を覚える。
書いて上げたところで無意味に尊厳を踏みにじられるだけだと感じるから。
そこが例の嫌がらせ事件に根ざしている傷なのですが。
嫌がらせをされる中、私は負けるものかととにかく話を書いていた。
いい話を書こうと努力し続けた。
本当、その頃、たくさん話しを書いていたと思う。
「修羅と丹若」や「ルサールカ」、それと同じぐらいの話をいくつか書いていた。
「修羅と丹若」「ルサールカ」以外は今は消してしまってある。
このまだ上げてある二つだって、続きは書けていない。
気持ちが死んだから。
正直、それだけ精魂込めて長い話をいくつもいくつも書いても、結局は無意味な嫌がらせに尊厳を踏みにじられ、その上ペットの死までも揶揄され小馬鹿に鼻で笑われ冒涜された訳で。
思い返せばそりゃ動けなくなるよなぁと思う。
書いた話や私の行動パターンがその人にとって気に入らなかったというだけで、サイトを変えても追ってきて陰湿に執着されて長々と嫌がらせされ、いい話を書こうとどんなにコツコツ真面目にこちらが努力しても、どうでもいい粘着で陰湿に付きまとわれた訳で。
まぁそりゃ、ネットに話を上げる事に虚無感や嫌悪感を感じるようになるよなぁと。
つまり、私は書く事が嫌になった訳ではなく、トラウマが出来てしまってネットに話を上げられなくなったという状況なのだとわかったんですね。
それでどうするかを考えたんですよ。
別にネットに上げるだけが話を書く手立てじゃない。
公募に応募する活動のみに集中する方法もあるし、文学フリマとか同人とかの方法もある。
ネットに上げるにしても、小説投稿サイトだけがそれではない。
電子書籍で活動するという方法もある。
また投稿サイトを利用するに当たっても有料化という手もある。
有料化はお金が入ると言う意味合いより、無料ではない分、誰でも読めるという訳ではなくなる事が重要になってくる。
多少なりとも負荷を背負っても読みたいと思ってくれる人にだけ読んでもらう事ができる。
ただ底辺作家にはあまり現実的な手段ではないけれど。
ここで重要なのは、書く事を続ける方法がネット小説サイトに投稿する事だけではないのだと言う事。
道はいくつもあるのだと言う事。
一つの事に捕らわれると、事を見誤る。
ここで私が話を書くにはネット投稿サイトしかないという思い込みに囚われてしまうと、投稿サイトに上げる事に躊躇している気持ちを「小説を書く事」が嫌になったと混同してしまうからだ。
で、書く為には別に投稿サイトに囚われなくてもいいと、いくつもの道はあるのだとちゃんと道筋を考えて上げてみれば、自分の気持ちが見えてくる。
私は書く事が嫌になったのか?
他の方法があれば書きたいのか?
それで、「あ、書きたくない訳じゃない。ネットに上げるのが怖いというか虚しいというか、嫌というか躊躇してるんだ」と理解する訳です。
この間、いくつか話をちまっと書いてみたけれど、結局、上げるには至らなかった話もいくつかあります。
それは書いてみたけれど自分に自信が持てなかったというか、結局トラウマに囚われていて「書いた(上げた)ところで尊厳を踏みにじられるだけだ」という気持ちが湧き上がって、どうにもできなかったと言う感じです。
そうやって一つ一つ、何が問題なのかだんだん見えてきたというか。
問題が何なのか分かれば、どう対処すべきなのか、どんな方法があるのか、それらを踏まえて自分はどうしたいのか。
ゆっくりですが、そういうふうに考えが前に向かって動き出しているというか。
それでもって、ついでだから考えたんですよ。
将来的な事も。
それで長い目での考えも視野に入れて、これからどう動いていくのか、1年後、数年後、極端に言えば老後、その時どう有りたいのか、そうなるために今どうしておくべきなのか、そんな事も含め、ゆっくり動いていこうと思います。
気持ちが落ち着いてきてから、考えてました。
これからどうするか。
この先、とうするのか。
でも、どうするのかって言い方は凄く不適切で。
私はどうしたいんだろう?
この先、どうありたいんだろう?
どうである事を求め、どうである事が楽しく幸せなんだろう?
そう思って、未来を考えてみたんですよ。
未来って、本当、現実的な未来で。
嫌でもやってくる未来で。
私はそこでどうありたいんだろうって。
私はそれなりに歳を食ってるんで。
「未来」ってヤツが「リアル」にそこにあって。
若い時のように何でもできるパワーも、夢に我武者羅になれる時間もなくて。
まだ形の決まってない、自分でどんな形にもできる未来ではなくて。
現実的にやってくる「リアル」な未来なんですね。
で。
その時、どう生きるか。
どうある事が「小さな幸福」と共に生きれるか。
「未来」を見て考えたんです。
だから。
そうなるように生きていこうと思います。(笑)
現実的に無理のないそんな目標です。
これからどうするか。
この先、とうするのか。
でも、どうするのかって言い方は凄く不適切で。
私はどうしたいんだろう?
この先、どうありたいんだろう?
どうである事を求め、どうである事が楽しく幸せなんだろう?
そう思って、未来を考えてみたんですよ。
未来って、本当、現実的な未来で。
嫌でもやってくる未来で。
私はそこでどうありたいんだろうって。
私はそれなりに歳を食ってるんで。
「未来」ってヤツが「リアル」にそこにあって。
若い時のように何でもできるパワーも、夢に我武者羅になれる時間もなくて。
まだ形の決まってない、自分でどんな形にもできる未来ではなくて。
現実的にやってくる「リアル」な未来なんですね。
で。
その時、どう生きるか。
どうある事が「小さな幸福」と共に生きれるか。
「未来」を見て考えたんです。
だから。
そうなるように生きていこうと思います。(笑)
現実的に無理のないそんな目標です。
ご無沙汰しております。
ほとんど何も書かなくなって、しばらく立ちます。
仕事が忙しいとか色々理由を並べてみましたが、ぶっちゃけそれでは理由になってない事はわかってたんですよね。
根本はそこにはないから。
で、まぁ。
ちゃんと根本と向き合わないとなぁと。
私は傷ついている訳です。
結構、深く深く傷ついている訳です。
そいつが致命傷になってて、書くという私にとって命みたいな部分が死にかけてる訳です。
だから何とかしないとなぁと。
なので。
傷ついている自分を認める事にしたわけです。
癒やすには、傷がある事を認めなければ始まりませんから。
自分には傷があるのだと。
それがどこにあって、どれだけ深いのか。
ちゃんと自覚して傷を知らなければ治しようがないですから。
ぶっちゃけ。
それが何かといえば、例の嫌がらせつきまといの一件なんですよね。
その件に関してはもういいのですが、その時、自分が深く深く傷ついたというのは紛れもない事で。
振り切るために我武者羅に前に進んできた訳ですが、前に進む事で平穏を勝ち取っても血塗れに傷ついている致命傷は残ってる訳です。
前に進んだ事はとてもいい事でした。
そうやって歯を食いしばって前に進んだ事で、傷ついている自分を受け入れ向き合える環境になったのだから。
だから今は傷ついている自分を認めようと思うんです。
ズタズタになっている自分を認めて、心臓を少しずつ治していこうと。
そうやって少しずつ少しずつ、やっぱり前に進んでいこうと思います。
ほとんど何も書かなくなって、しばらく立ちます。
仕事が忙しいとか色々理由を並べてみましたが、ぶっちゃけそれでは理由になってない事はわかってたんですよね。
根本はそこにはないから。
で、まぁ。
ちゃんと根本と向き合わないとなぁと。
私は傷ついている訳です。
結構、深く深く傷ついている訳です。
そいつが致命傷になってて、書くという私にとって命みたいな部分が死にかけてる訳です。
だから何とかしないとなぁと。
なので。
傷ついている自分を認める事にしたわけです。
癒やすには、傷がある事を認めなければ始まりませんから。
自分には傷があるのだと。
それがどこにあって、どれだけ深いのか。
ちゃんと自覚して傷を知らなければ治しようがないですから。
ぶっちゃけ。
それが何かといえば、例の嫌がらせつきまといの一件なんですよね。
その件に関してはもういいのですが、その時、自分が深く深く傷ついたというのは紛れもない事で。
振り切るために我武者羅に前に進んできた訳ですが、前に進む事で平穏を勝ち取っても血塗れに傷ついている致命傷は残ってる訳です。
前に進んだ事はとてもいい事でした。
そうやって歯を食いしばって前に進んだ事で、傷ついている自分を受け入れ向き合える環境になったのだから。
だから今は傷ついている自分を認めようと思うんです。
ズタズタになっている自分を認めて、心臓を少しずつ治していこうと。
そうやって少しずつ少しずつ、やっぱり前に進んでいこうと思います。
カテゴリー