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ねぎ(ポン酢)の呟きとか連絡事項、たまにリアル方面等の愚痴など。
※ちょっと面倒くさい自分語りです。スルーして下さい。(笑)※

ここのところ「書くこと」について悩んだり、考えてみたり、試行錯誤してみたりします。
なので変な事を色々してますが、自分の活動の形が決まるまでは色々手を出してみたりやめたりすると思いますが、「なんかジタバタしてるんだなぁ」と見守って頂けますと幸いです。

何でそんな事になったかと言うと、お気づきかと思いますが、少し前までリアル面、特に仕事の事で時間的にも精神的にも肉体的にも限界まで追い詰められて、「書けない」「思考できない」状況に追い込まれたのが大きいです。

生きていくには仕事をしなければならない。今のご時世、働かせてもらえる場所があるだけ恵まれてる。それは本当にそう。少なくとも私はそう思う。自分が社会の中で一人の人間として胸を張って生きる自信にもつながる。
仕事は大事。誰だって楽で時間に余裕があってたくさんお金がもらえる仕事があったらそれをしたい。でも当たり前だけどそんな仕事はない。少なくとも一般庶民に生まれてたらそんなものはほぼない。よほど何かの才能がない限りはない。それに仕事は必ず責任が伴う。責任が伴うからお金がもらえる訳で。
だから、何をどう選んで生きるかなんですよね。自分が自分として生きるのに、何を選ぶか。お金がとにかく欲しかったら、他の部分は目を瞑るしかない。負担の少ない仕事を選ぶなら、他の部分はどうにかするしかない。時間の余裕を望むなら、その他が過酷な状況になる事も覚悟しなければならない。社会保健に入れるかとか、年金はどう払うのかとか、そう言う事を込みで自分にとって何が一番大事で、それの為にどこまでのリスクを自分が背負えカバーできるかを考えて選ぶしかない。
生きる為には仕事をしなければならない。でも、無意味な事で肉体的にも精神的にも限界まで追い詰められて時間ほぼ奪われるのは違うと思う。
生きる為に仕事が必要なのであって、仕事の為に自分を殺して生きるのはどうかなと思う。できなくはないけど、そうする必要がある時もあるけど、一生それで生きていくのは辛いし、死ぬ時、何してたんだろうと思う気がする。
そりゃ何でもかんでも自分はこうしたいって癇癪起こすのは社会では通らない。それは単なる我儘。身勝手。だから1個だけ、これだけは無理ってのを決める。それを確保する為に、自分のリスク管理もする。どこまで諦めて、どこまで欲しい物を取るか、自分で決める。
その中で私は「書けなくなる」事態に陥って、これは自分が一番なくしたら駄目な部分が死んだって思ったんですよ。

それで、ちょっと書く環境についても考えるようになって、色々ジタバタしている感じです。(笑)

私は単に書く事が好きで、息を吐くように嘘をつくじゃないですけど、息を吐くように特に深くも考えずに話を書く人間です。
そりゃ特に理由もなく書けなくなる時期もあって、吸収期と放出期というか、書けなくなってとにかく出かけたり本読んだり映画見たりして自分の中の引き出しに色々詰め込む時期もあるんですけど、それも結局は書く為に引き出しをミチミチにしてる作業で、放出期に放出する為の作業なんですよね。吸収期は書けないけど書く為の準備をしているだけで、結局は書く事に繋がってる。
だからとにかく、書けていればよかったんですよ。書ければ何でもいいというか。

でも今回の事があって、書いていく為に「書ける環境を守る力」「書ける環境を確保する力」「書ける環境を存続させる力」みたいなものがいるのかなって思うようになったんですよ。
別に今でも「趣味」の領域から出るつもりはないです。よほどの才能と運がない限りは仕事としてやっていけるほど甘い世界ではない事も知っているし、甘く見たら痛手どころかトドメを刺してくる世界ですし、なんの保証もない自己責任の世界ですし。
何より単に書く事が好きでどういう形にしろ長々書いてきた人間ですから、自分が「鬼才」みたいな能力がない事は理解してるんですよ。それどころか、自分の感性が世間一般とズレてる事も今まで生きてきて冷静に理解してる訳で。
よく、見せ方、題の付け方、宣伝の仕方が悪いから読まれないって話を見るんですけど、確かにその通りだなぁと思うんです。でもね、それはやっぱり趣味での話だと思うんです。本当にこの道でその腕一本で食べていけるような「鬼才」は、どこでどんな形で作品を出したってすぐ、その世界に引っ張りこまれるんですよ。同人だろうと、自費出版だろうと、ネットだろうと、持ち込みだろうと。リアル鬼ごっことか京極夏彦さんとか。そういうもんです。

だから長々趣味で書いている私には「鬼才」の力はない。でも、書く事ができない生活では、自分自身が死んでしまう。だから趣味で続けていく力、その環境を守れる力、そういうものが必要なのかなと思った訳です。
それは別にお金と言う訳じゃない。確かにお金があればそれが守れる。だから仕事の収入が良くて時間があって、精神的にも負担がなければ別に何の問題もない。でも今時、そんな仕事はごく一部しかない。ならどんな形でそれを守る資金を得るかも少し考えないとならない。

でもお金だけがそれを維持する力じゃない。物書きにとってお金よりも力になるのは読んでくれる人がいる事。その応援が何よりの宝であって一番の力になる。さっきの作品の見せ方、題の付け方、宣伝の仕方、それらも関係してくる。誰かが読んでくれる、誰かが楽しいと言ってくれる、感動したと言ってくれる。それが書く人にとっては何よりの力になるし、それがあるから書き続けられるんだと思う。これは物凄い力。お金なんか屁でもない。でも、凄い力だからこそ諸刃の力でもある。読まれない事、誰の声も届かない事、それがダメージになって、書く事に支障が出る事がある。読者であり読者の声が何よりの力だし、それがあるから物書きは書き続ける。でも、ここに頼りすぎると潰れる。物書きにとって何よりのご褒美だけど、甘い蜜には毒がある。中毒になったら書けなくなる。メンタルやられる。だからこれに頼り過ぎたら駄目。でもこれがないとお金があっても物書きは書けないと思う。だから大事。

他にも自分の自信に繋がる事も大事。例えば賞に公募して結果を出すとか、ランキングに入るとか、社会的に認められた何かみたいなのも大事。自信になるしリアル面にも影響する。ただ趣味で細々書いてるだけだとこっそり趣味でやってるってスタンスだけど、社会的に認められた何かがあると「作品」に社会的地位みたいなのがつくから、書く環境を強め守る事ができると思う。

他にも色々あるけどとにかく。何というか書き続けるために、「書く環境を作り、保持し守る」事も私の人生には必要なんだなと思い立ったというか。

これまで本当、書きたいから書く、書くのをやめられないから書く、だからどんな形でも書ければいいやって思って思ってたんですよね。
でも、書く事を脅かされるんだって事がわかった今、それを失ったら自分が死んだも同然なんだってわかった今、私は「書ける環境を守る」必要があるんだなと思ったんですよ。趣味であっても。
それを守る力は色々あるし、一つに固執すると良いことないから色んな方面で考え、割合とかは自分に合った形にしていけば良いかなと。

なので、色々変な事してますし、読まれる方がどうなら気持ちよく読めるかなとか試行錯誤してたり、なんかごちゃごちゃしてますが、見守って頂けますと幸いです。

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